最近ではトークイベントなどに登壇させてもらうと、自然とメディア批判みたいなコメントが口をついて出てしまう。
表現者なんてメディアに取り上げていただいてこそ存在価値があるんだから、求められるがまま応じて、アルビノとして産まれ生きてきたこれまでを、苦しく悲しく語るべきなのかも知れない。
…いや、そうして僕が心にもない嘘をついて被りたくもない可哀想キャラを演じて名をあげたとしても、僕のタレント生命が続かないし「あの頃は売れたくてつい可哀想キャラを演じてまして…てへ☆」で許されるようなものでもないので、まちがいではないだろう。
そんなことより、声優系コンテンツの制作会社でイベント制作や動画番組制作を辛抱強く続けていれば、自分の番組を自分の大好きな仲間と一緒に作って楽しく暮らしていたのだろうか。
…いや、あの会社はそんな仲間がいるような場所でもなかったし、心を殺して仕事を続けていたら僕のことだ、もっとヤバい闇に堕ちて表現活動どころじゃなくなっていただろう。
それよりはもっと前に、ライブアイドルのマネジャーに就くからと、それまで大変お世話になったNPO法人マイフェイス・マイスタイルを離れてしまったのが悔いるべきポイントだったようにも思える。
「見た目問題」解決のために今も精力的に講演活動などを展開しているあのチームに居続けていれば、いま頃は僕も講演会で日本各地を回ったり、思いをすべて刻み込んだような書籍を出版したり、テレビにもお呼びいただいて、コメンテーターとかもさせてもらえてて、でも根っこはエンタメ大好きなので、少しバラエティにも出させてもらえたらな〜なんて思ったり…。
いや、思い返してみればMFMSを離れる時には「進みたい方向性が違うみたい」という話し合いもしたっけ。
僕はあくまでもエンタメ志向で「考え方や生き方を知恵や工夫で変化させて“自分らしい顔で自分らしい生き方をしていこう!”というスタンスは変えられなかった。
けれどMFMSはあの頃から「当事者たちが“自分らしい顔で自分らしい生き方ができる社会の実現”を目指す」ことに本腰を入れて、いまの活躍までに至ったわけで。
ぞれぞれの方向性で進むべくして進んだからいまがあるんだ。決して悪くない。
だとすると大学卒業の頃、新卒採用に軒並み落ちて、どこにも行き場がないと思った時。
「自分はそれでも表現者として生き抜いていきたい」と、近くにいた同じく表現者としての活躍を目指す声優と役者に声をかけてユニットを組み、Podcastラジオを配信したり小さなステージに立ったりしている場合ではなかったかもしれない。
とにかく「仕事に就くことを最優先」にして、大学時代に掴めなかったマスコミ系やエンタメ系をキッパリ諦めて、アルビノの日本人として一般社会の中で生きづらさを感じながら、普通の会社員として不満を抱えながら働き生き続けていれば良かったのだろうか。
…いやだとしたら完全に、僕は何も面白味を感じること無く、相当早い段階で人生そのものに嫌気が差していた気がするし。
いま残すことが出来てきた「アルビノで幸せに生きる日本人」という存在がこの世に無かったと想うと、あの段階でも「普通の」「ちゃんとした」存在になれない自分の不甲斐なさを痛感しながらも、こだわりを通して希望を捨てなかったのは強かったとも思える。
(全文は粕谷幸司のnoteでお読みいただけます)
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