アルビノの日本人で40歳…どこでまちがえたんだろう?

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生まれる国が、ここではないどこかだったら。
「黒髪が普通で金髪は不良」だなんて文化が無い世界のどこかだったら。

もしくは昭和のあの時代ではなかったら。
インターネットで誰でもいつでもどこからでも情報にアクセスできる現代から人生を始めていたら。

そもそも、アルビノでなければ。
こんなに生きることに悩まずいられたのだろうか。

普通とは違う自分に絶望すら感じて、身動きが取れぬまま孤独に蝕まれる状況には陥らずにいられたのだろうか。


2024年の現在、僕が僕らしくこうして存在しているのは、これまでのすべての失敗が繋がり続けてきたおかげだと思う。

間違いだらけの人生だからこそ芽吹いた人への優しさもある。

「しくじっていなければ得られただろう輝かしい何か」を取りこぼしまくって来たことはまちがいないのだけれど、それをいうと「これまでの出会いや経験」と引き換えにして良いものなのかは判断できない。

いまが幸せとは決して言えない。
けれど不幸だともまた思えない。

40年の人生で、どこかの選択を違えていれば、もっともっと面白く楽しく幸せな現在を迎えられていたのかも知れないけれど、反対に、より険しく悲惨で不幸な現在になっていた可能性も大いにあり得る。

だから、いま出来るのは。

まちがいも含めて、これまでの自分を認めること。
むしろまちがいにこそ向き合って、この瞬間を見つめること。

そして、変えていける唯一のいまからみらいへ、顔を上げて進むことなんだ。

それとあわよくば、似たようなまちがいを、失敗を繰り返すこと無く、心から笑顔でいられる世界へ、向かっていこう。

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